時間の流れと空間の流れ
縦、横、高さを三次元空間と呼び、そこに時間の流れをいれて四次元空間という(たぶん)。
三次元と時間の流れは別物のように思うが、たとえば、宇宙空間とか、その時間の概念とかを想像したとき、われわれ地球人が考えつくのは、この地球上の範囲内の概念でしかなく、なんとか星の概念では、過去も現在も未来もなく、ただ「在る」だけ、みたいなこともあるかもしれない。
いま見えているあの星の光は何万年まえのものだみたいなことを学校で習ったような気がするが、ぼくはそんなことはないと思っている。いま見える光はいま光っている。根拠はないけど。
時間の流れは絶対で、過去は過ぎ去り、未来は未だ来ない、と思われている。
が、空間も実は流れていて、この空間は次の瞬間にはさっきの空間ではない、そんな考え方もできる。
スポーツでも、芸術などの表現でもそうだが、時間が絶対なものと、そうでないものとがある。
その瞬間を逃すと意味がなくなってしまうものと、そうでないものというほうがいいか。
時間制限のあるスポーツと制限のないスポーツ、時間制限はなくても瞬間に対応しなければならないこともある。野球はトータルの制限は基本ないが、瞬間をのがすとだめだ。ゴルフはボールタッチの一瞬以外は自分で時間を制御できる。
音楽はリズムに乗り遅れると、リズムだけ先にいってしまって困る。
絵画は自分のペースで創作できる。
鑑賞する側からいうと、スポーツはほぼ時間優先で、音楽もそうで、絵画、書物は時間に左右されない。
表現を鑑賞するのに、表現者と時間を共有する必要があるか、ないかというほうがわかりやすいかもしれない。
ごちゃごちゃ書いたが、なにを言いたいかというと、人間も瞬間的な対応が得意か、じっくり自分のペースでできるほうが得意かというのがあるだろうということ。
ぼくはつねづね、どうも音楽には才能がないように思っている。
デザインとかイラストとかは本業にしているだけあって向いていると思う。
学生のときのサッカーも、いま思えば、試合になると下手であった。
競技ではない、ジョギングとか水泳とかはいいのだが。
言いたいことを巧く表現できなかったが、
時間の流れと空間の流れ、ということにしておく。