死生観
死を考えたうえでの人生観、とでもいえばいいのだろうか。
東京でのあの揺れを体感したぼくは、死生観というものが芽生えたというか、
人生観ではなく死生観、というか、人生観が変わったというか、
とにかくあれ以来おそらく、ものの考え方のもとの、かなりの割合が、
変わった、シフトした、ように思う。
こういう感じで死ぬんだなと、死ぬときってこんなんなんやなとか、
電車が動かない、電話が通じないというだけで、
いままでの社会生活の大事なこと、仕事とか約束とかが麻痺し、
どうしようもないとか、そういうことを体験し、実感したからであると思う。
おそらく、こういう感じはぼくだけではなく、そして今回の3.11だけではないだろう。
ただ今回は、かなり広いエリア、そして東京を含むことで、
日本人の死生観がシフトした、と言ってもいいだろうと思う。
人生観から死生観って言うほうがいいだろうか。
いろんなひとが、言っているので、日々、確信が強まってくるが、
いろんなことが次の時代にシフトしていくだろうと思う。
とにかく、いまやっている仕事、目のまえにある用事は、
おそらくだれかのなにかの役に立っているからいままであったわけで、
今後もそれらに勤しむのが、いまのぼくの仕事であり日常であると思っている。
まわりのひとの喜び、そして自己満足。つづく。