ひらめいた、わかった。(拝啓 ジョンレノン)
「拡大と縮小」の続きで、
算数か数学で、「含む」とか「含まない」というのがあって、円の中は「含む」で、外は「含まない」で、重なっているところは「AもBも含む」みたいなことで、それを地球レベルで考えると「含まない」が「含む」だなどと言うやつがいたりして、それでもそれは平面での考え方で、空間として考えたらどうなるのかと、いうようなことを考えているときに、ひらめいた。
一般に人間は、個々の人間はそれぞれ、別個の存在だと思っている。魂というものもおそらく、その別個の存在にそれぞれ存在すると思っている。動物もそうで、植物もそうであると思っている。
魂とはなにか、命とはなにか、生きているとはどういうことか、神とはなにか、おぼろげながら、わかった。
魂と命と生きているは、ほとんど同じことということにする。
「意志」のあるところに魂があるとする。
あらゆる物体は「素粒子」からできていて(いるらしい)、動いている(らしい)ので、あらゆる物体は生きている(無理矢理)。
おそらくなんらかの意志をもっている。魂を持っている。
ということは、あらゆる物質は魂があり、生きているということである(これも無理矢理)。
「地球くん」という意志、魂があるとする。同じく「太陽くん」などもいるとする。
そして、あらゆる魂は、それらに含まれる。
逆に含むのかもしれない。「含み含まれ生きるのさ」みたいな感じである。
そして、様々の各々の魂は別個であり、かつ一体である。つながっているというよりも、含み含まれである。
むかしからよくいわれる、「おてんとさん」とか「火のかみさん」とかいうこと、や、ご先祖の魂とかなんとかの霊とかいうことも説明がつく。
パワースポットとか自然現象なども説明がつく。
「神」とかいうのもそういうことなのだな。