再生装置
20年まえぐらいとくらべたら、すごい進歩である。
レイアウト用紙というのに、写植の文字をゴムのりで貼ったり、コピーした写真にスクリーンを貼ったり、そんなことをしていたのに、いまは、作ったデータを一瞬で送ったりできる。
音楽をダウンロードしたり、とか。
メールで、オンラインで送れるもの、送れないもの、そんなことをいろいろ考えているとき、ふと気づいたことがある。
文字、画像は送れるとか、音楽は送れるとか、米は送れないとか、味噌は送れないとか、いや、これは違うぞ、と。送ってるのではなく、向こうで再生できるかできないかということなんだと。
たぶん、開発者たちにはあたりまえのようなことなのだろうが、ぼくにとってはこれはすごい発見であった。
ディスプレー、スピーカー、プリンター、パソコン以前なら、テレビ、ラジオ、電話、ファクスもそうだが、先に再生装置があって、そこにどんな信号をどのような方法で送るかさえ決まれば、ここから向こうに送れるということになる。
たとえば、10色のトナーみたいなもんがあって、その組み合わせでほぼすべての匂い、香りが表現できるのなら、「匂い」だって、送れる。同じように、「味」だって送れるかも。
本当は、送ってるのは単に信号であって、向こうで再生されるのは、複製である。
ディスプレーに映る絵や写真、映像だって、プリンター出力されたものだって、本当のものそのものではない。
データで送れるものというのは、所詮、それだけのものである。
ということは、お金はいったい、どうなんだろう。
続く。