音楽フリークのアメリカ人に話を聞く幸せ
先日、日本在住のアメリカ人、しかも音楽フリークという方(日本語もOK)と話す機会があり、
ディランの詩の解釈についていろいろいろいろ聞いてみた。
「Just Like A Woman」「Don't Think Twice...」「It Takes A Lot To Laugh...」の
詩のコピーを持っていっていたので、とりあえずはその三つについて。
最初にアルバムではどのあたりが好きかと聞かれたので、「Highway 61...」「Blonde On Blonde」
と答えると、彼は、「Nashville Skyline」「New Morning」あたりで、最近のはあまり、、と。
僕もあの声が苦手でと言うと、彼は、でも「Good As I Been To You」を知っているか、あれはすごくいい、と。
この時点で、おお、探し求めていたのはこの人だ、という感じで、話は始まった。
先日記した「Just Like A Woman」の「a woman」の「a」の解釈について聞いてみたが、
僕の主張する、前から知っているのに初めて会うみたいな、というニュアンスはないということであった。
しつこく何回も聞いてみたが、あるいはうまく伝わらなかったのかもしれないが、そういうことであった。
しかし、この文脈はどう考えてもミステリアスではあると。ディランはそもそもだいたいミステリアスだと。
まあそれはそうなのだが。
「Don't Think Twice...」について。
まず、細かいところでどうしてもよくわからなかった、
「I once loved a woman, a child I'm told」のところ、
ここは、「I once loved a woman, someone told me that she was a child」と
いうことではないか、ということである。
「かつて、ある女性を愛したことがある、でもそいつはまだこどもだったんだよ」、
てなニュアンスか。
そして、前に書いた、この歌は辻説法のようなイメージだと思うのだがと聞くと、
いや、これは男女のロマンスだということであった。
ただ、「僕が旅に出て行くのはきみが原因である」とか
「僕の大事な時間をきみは無駄にしたんだ」とか、あまりにもきつい、ひどいと。
どういうことだろうこれは、このへんも謎である、というようなことであった。
そもそも詩というのは、感じるイメージ、解釈において、広がりを持つものであり、
それはそれぞれ個人個人の受け取り方、感じ方に対応するものであり、そこはしかも、
自由であり、正しい答えがあるわけでもなく、ただそこには、ある種の共有できる「感じ」、
がある、というものであろう。
と、いうことで、言語を超えてまで考察の楽しみを与えてくれるディランさんは、
やはりすばらしい、ということだろう。
「It Takes A Lot To Laugh...」は、最初の郵便列車のところからよくわからなかったのでが、
あのころの時代、俺は音楽で、一山あてるために、郵便列車に乗りこんで、街(たとえばニューヨーク)に、
ギター一本だけをかかえて、ひとり(彼女もついてきてるのか)出ていく、みたいな、ということである。
あとのところはあまり意味がつながらないと思うとのことで、
それは「Subterranean Homesick Blues」などと同様とのことであった。
意味のつながりはさておいて、デニムの上下で列車に乗ってるとことか、日の沈んでいく感じとか、
ビジュアルのイメージを鮮明に感じるので、なんとか近々、翻訳したいと思っている。
て、どんだけ深いねん、ディラン。
このペースでは、全然進まへんし、終わらへん。
毎日、書くしかないのか。