相撲のルール
とにかく、記憶に残っている取り組みがある。
何年のどこ場所だったかわからないが、
小錦が若島津をつっぱりでノックアウトしてしまった一番である。
こういうのは、検索すれば出てくる、たいがい。
伊坂幸太郎さんも言っている。
彼は無事なんだろうか。
こういうのも、検索すれば出てくる(ご無事のようである)。
で、相撲のルールというのを、確認のため検索してみると、
禁じ手がいくつか出てくるだけで、細かいルールというのは出てこない。
ということで、あいまいな僕の知識をもとに、話を進める。
そもそも、ルールっていうのは、スポーツにおいて勝敗をきめるために、
勝敗を明確にするために設けられた、そのスポーツ独自の決まりである。
スポーツというのは、広い意味では体を動かすこと(ジョギング、ストレッチなど)も含まれるであろうが、だいたいは、競技になるもの、を指すと思う。
学校の運動部に、なになに部というのが存在可かどうかでだいたいわかる。
なぜなら、団体、チームの目標としては、勝ち負けというのがいちばんわかりやすいからだ。
そして、勝敗を決めるには、ルールが必要である。
すでにそこそこ長くなっているが、短くまとめようとしてみる。
スポーツ(競技)のルールは厳格である。
人生にはルールはない。(法律はある、道徳というのもある、分類していけばそれぞれにルールはある)
あっても、あいまいな部分が残してある。暗黙の了解、というのもある。
そのルールが、あいまいであり、決めごとが少ないなら、そのスポーツは、競技ではないと言ってもいい。
プロレスは競技ではない。
サッカーは競技だが、かなり競技ではない要素が多い。
他の球技はほぼ、競技である。
陸上競技は競技だが、僕のジョギングは競技ではない。
市民マラソン大会に参加したときの僕は競技ではないが、
上位入賞のひとたちにとっては競技だろう。
(こういう場合、スポーツとは、とか、競技とは、とかの、言葉の定義をどこまできちんとするか、万人の共有認識とするか、で変わってくるので、というか、こういう場合もどういう場合も、言葉というもののとらえ方をどう考えるかという、、、別のところに続く、、、)
相撲部というのはあるようだが、学生相撲、アマチュア相撲についてもくわしいルールがよくわからない。
またもや長いので、短くしようとする。
勝ち負けにおいて、暗黙の了解、みたいなもんがある時点でそれは純粋なスポーツ競技ではなく、ある意味、人生そのものといってもいい、より人間味を含んだ、ほかの競技とは比べようもないものである。
僕がなにが言いたいかというと、大相撲に八百長があったとかなかったとか、これからちゃんとするとかそういうことを言うな、ということで、
もし議論するなら、そもそも八百長ってなんやねんとか、八百長こそが人生やないか、とかそういうところから議論してほしいということです。
議論もいらんというか、相撲は昔からこんなんですわとか言って、普通に続けたらいいと思います。
とりあえずこのへんでやめます。
と書いて、冒頭の小錦の件を忘れていたので補足。
小錦の一方的な攻め、両手で突き放して突っ張りの連打、最後の何発かは、完全にパンチ(掌底)で、若島津ノックアウト。
それこそルール(禁じ手以外)内での競技なら、最初からパンチ攻撃でもいいわけで、たしか小錦はこの後なんかいろいろ言われていたようであった(相撲のえらいさんとか)。品がないとかなんとか。まあそんなんも含めて相撲かもしれないですけど。