「おれ」
以前、英語の「I」は、日本語ではぼくとかわたしとかおれとかうちとかじぶんとかわしとかおとうさんはとかいろいろと、場面、相手によって使い分けるというようなことを書いた。
「日本語の外へ」(片岡義男)に、同じような意味のことが書いてある。
まだ途中までしか読んでいないが、日本語には英語の「I」と同じ意味の言葉は存在しない、日本語では自分の(Iの)存在は多様化される、使う言語によってそのパーソナリティーは確立されるので、日本語を話す日本人の自己パーソナリティーは稀薄である、というようなことが書いてある(まだ読んでいる途中なのと、ぼくのおおざっぱな要約なので、すこし違うかもしれないが)。
で、ここで思ったのだが、これは、「おれ」だなと。
英語の人は、みんな、「おれが」、「おれが」と言っているんだなと。
どんな場面でも、だれが相手でも。
そういうのをみっともないとか思うので、日本語のその使い分けは、一種の「美徳」ということなのだろうと思うが、一応、英語では「おれ」、というのを認識しておくと、英語でしゃべるときとか、海外にいったときとかの備えになるだろう。
前にも書いたが、ぼくは普段「ぼく」でいっているが、英語のときは(ってほとんどないが)気持ちは「おれ」でいくことにする。たぶんそのほうがスムースにことは運ぶだろう。
このさいみんな、女子もみんな、「おれ」でいけ、中山美穂ばりに。