マキタカオ ライフ

日々の考察と記録 It's Life, And Life Only

続 トゥドゥーリストについて

A4サイズで、トゥドゥーリストのフォームを作りました。

横位置で、大きく3つにわかれていて、左から大分類、中分類、小分類のように使っていくことができますし、全然分けないという使い方もありだし、白紙の紙に書いていくようにしてもいいし、実際使ってみると、白紙の紙に書くよりは使いやすいようにも思います。

PDFのフォームをこちらで販売しています。

トゥドゥーリストを含む8種のフォームで、216円、安いのか高いのか、どうだ。

mdesign-press.stores.jp

 

パソコン、スマートフォンなどがますます普及し、いろんなことがわりと簡単にできてしまうようになり、できること、やることが増えてしまい、あれもこれもやらなあかん、ああなにもできていない、わけわからへん、みたいになってしまっていて、ただ箇条書きにしているだけだと、全体の整理ができず、前に進まない、進んでいる気がしない、先が見えない、みたいな状況であったのですが、このフォームに書き入れてみると、なんだか少しマシになったような、少しすっきりしたような気がしています。

とりあえず、続けてみたいと思います。

 

トゥドゥーリストについて

トゥドゥーリスト、やることリストのフォームは大抵、リストアップして、終わったらチェックするというようなもので、今日のやることを書き出してチェックして、チェックできなかったものを明日再度書き出して、みたいに使うにはちょうど良いのだが、なんかどうもしっくりこない感がずっとあって、いろんなフォームや、そこらへんの紙や、それ用のノートや、スケッチブックや、いろいろ試したがそういう問題でもないような気がしていて、ふと気づいたのが、これは並列ではいかんぞ、ということであった。

大きな目標、といっても壮大な目標ということではなく、漠然とした方向という感じのことをリストアップ、それに付随するいろいろなことをその下にリストアップ、その下に今日とか今週とかにやることをリストアップというふうにするといいのではないかと。

大分類、中分類、小分類みたいな感じで。

大と中は、同じフォームで、小は、いままで使っていたようなフォームで、とか。

手帳がいいのか、壁に貼るのがいいのか、いろいろ試してみる。

そういえばまえに、一枚の大きな紙に、そのようなやり方をやったことがあるが、何日かたつとぐたぐちゃになってきて、さらに一ヶ月、さらに、とかになるとなんかなんにもできてへん、みたいになって、結局続かないみたいになった。

いろいろ変わっていくことも多いし、きっちりやろうとするほど対応できないのかもしれない。

ホワイトボードを使って、消しては上書き、のほうがいいかもしれない。

 

というか、いまごろこんなことを気づいたとかいうのもどうかとも思ったが。

キャパの取り合い

ひとりの人間の時間、ひとりの人間のお金を、なにに使わせるかということ、そのキャパの取り合いみたいになっている。

考えているのは売ることばかりだ。需要よりも供給が多く、あふれているのにまるで懲りない。

お金だけが先に走っている。

お金が儲かればそれでよい、もはや人間はいらないというところまできている。

 

やるべきことは、その先のことで、それは取り合いへの参入ではない。

既存の概念ではない、新しい概念、みたいなもんだと思うが、どうなんだろう。

なになにでめしを食う。という言い方をするが、お金ではなく、文字通り「めしを食う」を基本にというか。

お金は、めしを食うための、手段であるというような。

 

といいながらも、俺はお金を稼がないといけないのであり、それは俺だけではないわけで、どうやって稼ぐねんというのは、大きなテーマであって、それが分かれば苦労はないわけであり、こんなこと書いてても、いったいどうやねんというわけだ。

 

まあ、思いついたことを、細かいことでもなんでも、ちょこちょこやっていくことしかないなということ、くらいかな。

思いついたことで、できることは、やってみる。ということか。

やはり死ぬまで試行錯誤、ということだろうが、俺の思考は錯乱してしまっているようで、なにを書いているのかよくわからない。

 

 

 

 

 

自分の文章

いままで書いたやつを見直している。

けっこういいことが書いてある。

もっかい引っぱり出してきて、追記したりして、再確認したり、再び人目にさらしてやろうと思う。

ヒラキナオルとしては、ここはさらに持論を転回し、展開し、どてっぱらに風穴をあけてやるのだ。

すこし前に、自分の文章がいちばんいい、と書いている文章を読んだことがあり、そういうことだったのかなるほどと思った。確かに自分で書いたのだから、その発想にいたるまでの経緯や、行間の微妙なところや、言葉の選びかたなど、書かれていないことまで、自分では分かっているからだ。

http://mubou.seesaa.net/article/456184451.html

そういう意味では自分の文章は、自分ではかなりひいき目にみてしまうということで、その分は差し引いていい加減かもしれない。

かといって、自分の視点以外の視点で、というのは根本的には無理だろうと思うので、やはり自己満足を貫くというか、しょせん自己満足だとわかったうえで、ということでいくしかないだろう。

 

 

 

これから

まず、いくつかテーマがあって、これからの人生、生き方、生活、全部「生」という字がはいっているな、どうすんねん、というか、ただ、食って寝て食って寝て、いずれ死ぬ、というのでいいかな、という考えかたもあって、ほんとのことをいうと、それがベストだ、あるいはそれにこしたことは無い、というふうにも思っていて、そのまま時は過ぎていくのであるが、いまこの時点で間もなく54歳になるということで、もうあと、あって30年かそこらであって、このまま食って寝て食って寝てというのでは、それはちょっとおもしろくない、マンネリにもほどがある、てなわけであって、ここらですこし、もうすこしアクションをおこして、おもしろくしたい、おもしろい状態でありたい、という考えかたもあるので、やはりここはひとつ、なんかしたほうがいいなと。

 

いくつかテーマと書いたが、とりまとめると、「ライフ」、「日々の暮らし」、においての幸福の追求ということになるだろう。

そもそも幸福とはいったい何だ、ということもそうだし、いくつかに分類というか、視点によって自ずと分かれるというか、これがカテゴリー分けということになるのだが。

 

まず、仕事、商売について考えること、実行、実践していくこと、これはまさに文頭の「生」のつくこと、基本的議題としての「ライフ」ということにおいて、基幹のひとつとなるだろう。

 

気づいたことを、記録して保存、公開すること。

他人が見て、なにか少しでも役にたつ、あるいは自分が再確認して自分の役に立つと感じるために。

過去の自分のために。

 

楽しいことを増やすということ。

ただ数を増やすだけでは、忙しくなってしまい、楽しくなくなってしまうので、楽しみの数ではなく楽しみ時間を増やすというか、楽しみで埋めていくというか。

義務にならないように気をつけるとか、めんどくさくならないようにするとか。

 

より良くすること、をないがしろにしない、さぼらない、躊躇しないということ。

より良くすること、に貪欲になる、マメになる。

 

同じことを何度も書く。上書きする。

同じモチーフを何度も描く。上から描く。

まえにスイッチインタビューという番組でcharaが、同じ人間からは、そうたくさんの新しいものは出てこない、同じようなことを繰り返しやっている、新曲といっても似たようなものにしかならない、みたいなことを言っていたな。

 

恥を恐れない、畏れない、開き直る。

しょせん、恥ずかしいことばかりであり、死ぬまで恥ずかしいわけで、もうそんなことは、いい。

解き放たれよ、俺。(I Shall Be Released)という感じで。

 

開き直る、ひらきなおる、これに尽きるか。

ヒラキナオル。改名しようかとも思う。

引っ越しを繰り返し。

ブログの引っ越しで、いまのところのデータをエキスポートして、つぎのところでそれをインポートするのだが、エキスポートでテキストはできるが画像についてはできるところとできないところがあるようで、できないところでも引っ越しを済ませると画像も普通に表示されていて、できてるやん、と思っていたら、画像についてはまえのところにリンクされていただけだったということについ最近気づいた。

 

先日、消さずに残してあった以前のブログを削除したら、はてなに引っ越しの以前の画像が全部消えていて、調べてみたら、画像のリンクはFC2のサーバーのものになっていた。

 

このさいいっかいバシッと整理してみようと、今後に向けていろいろ変えてみようかと、これはちょうどいいきっかけだ。

なんか漠然とぐちゃぐちゃになっていたので、ちょうどいいタイミングというか、ようやく分かったということか。