キャパの取り合い
ひとりの人間の時間、ひとりの人間のお金を、なにに使わせるかということ、そのキャパの取り合いみたいになっている。
考えているのは売ることばかりだ。需要よりも供給が多く、あふれているのにまるで懲りない。
お金だけが先に走っている。
お金が儲かればそれでよい、もはや人間はいらないというところまできている。
やるべきことは、その先のことで、それは取り合いへの参入ではない。
既存の概念ではない、新しい概念、みたいなもんだと思うが、どうなんだろう。
なになにでめしを食う。という言い方をするが、お金ではなく、文字通り「めしを食う」を基本にというか。
お金は、めしを食うための、手段であるというような。
といいながらも、俺はお金を稼がないといけないのであり、それは俺だけではないわけで、どうやって稼ぐねんというのは、大きなテーマであって、それが分かれば苦労はないわけであり、こんなこと書いてても、いったいどうやねんというわけだ。
まあ、思いついたことを、細かいことでもなんでも、ちょこちょこやっていくことしかないなということ、くらいかな。
思いついたことで、できることは、やってみる。ということか。
やはり死ぬまで試行錯誤、ということだろうが、俺の思考は錯乱してしまっているようで、なにを書いているのかよくわからない。