マキタカオライフ

It's Life and Life Only

和食には「なまえ」がない

先日、たまたま近くであった、土井善晴さんの講演を聞きにいった。とりとめのない雑談のようでありながら、要所要所に、光るフレーズがあり、なかなかさすがであるなと、一汁一菜の本とはまた違う本を読んだような、あとあといろいろ考えたり気づいたりすることのできる、有意義な時間であった。

そのなかで、和食にはもともと、西洋料理みたいに、「なまえ」はないんです。なになにを炊いたん、とか焼いたん、とか、ここ京都でも言うでしょう、とかそんなのがあり、聞いていてそうそうそうやねんと、弁当の説明文みたいなもんを書くときに、いつもなんかしっくりこないし、おんなじもんでも書きかたが違うし、あるいは、いつもおんなじ書きかたやし、困ったなあと、いやべつに困ってへんけども、もっとシンプルな感じにいかへんかなあと思っていたこともあり、そうか、そうかと、これからは材料、素材、調味料、あと、調理器具、調理方法を箇条書きにするみたいにしてみようと。
つぎからそうしてみよう。

あと、レシピというのもありません、と。
素材の状態によって、洗い方も切り方も調味料も調理時間も全部変わりますねん、もうこれはそのときのそのひとの加減ですわ、みたいなこと、これもほんとにそうやなと、そのときの加減、いい加減(良い加減)で、やる。これも箇条書きとか、だいたいこんな感じになったら、こうします、とかでいいのだなと。
これもつぎ、そんな感じでやってみよう。