マキタカオライフ

It's Life and Life Only

魂、霊魂、心、意識、身体。

いままで書いたことをふまえて、というか関連して、整理してみる。

「身体」というのはわかりやすい。
肉体、BODY、フィジカルとか。
まさにこの私、個々、個性。
違い、区別。自分、他人。
I YOU HE SHE WE THEY。
そして、命。
生と死を身体のことだけと考えるとわかりやすい。

わかりにくいのが、意識、心、感情、感覚、気持ち、など。
そして表題の、魂、霊魂。
言い方が違うのでややこしい。
それぞれに若干違ったニュアンスがある。
意識、心、感情、感覚については、いままで書いた。
気持ちというのは、感情とほぼ同意だろう。
魂というのは、命の素、命を司る、身体に宿っている、とかいう意味合いである。
霊魂というのは、身体が死んだあとに、死なずに残る魂、という意味合いである。

これらを強引にまとめてみると、「自分が、感じたり考えたりする感じ」のことであると言える。
まさにいま、身体も含めて、身体の感覚も含めて、感じ、考えていること、気持ち、感情、喜怒哀楽。
オレのこの心。オレがオレであるという認識、意識。
最初に挙げた言い方を全部入れてみたが、そういうことであろう。
便宜上、以後、「意識」に代表してもらう。


死後の世界はあるのか、とか、魂は死なないのか、とか、死とはどういうことか、とか。
また、意識はどこにあるのか、とか。
いままでなかなか明らかにされていなかったことが、説明がつく。

意識はこの現世で、個々の身体に宿るが、身体の内部だけでなく空間に広がりを持つだろう、ということは以前書いた通りである。
身体はその誕生によって意識を帯びる。存在によって意識を帯びているといってもいい。
あらゆる存在するものは、意識をもっている、とする。
生きものも、そうでないものも。
生きものというのは、人間が決めた定義で、石や山が生きていないとは必ずしも言えない。前にも書いたように。
人間はその身体の、脳のポテンシャルで、言葉を持つがゆえの意識と行動、文化を育んできた。
われわれ人間の表現、意識は、人間特有のもので、またわれわれは人間であるがゆえに人間の意識しか意識できない。

意識は空間に広がっていると言ったが、たぶん広がって全体と一体化している。本当は。
人間の認識は、言葉で制限されているのでこの感覚がなかなかわからない。
また、オレをオレとして認識しているので(身体レベル)、さらにわからない。
身体は身体、意識は意識と考えるとすこしは理解できるかもしれない。

ただ、身体と意識は連携しているので、互いに影響しあっている。
というかすべては連携しているため、すべては影響しあっている。
身体が死んだあと、身体によって影響を受けた意識、言葉や五感、感情や記憶を含んだ意識は、身体を抜けるが「在る」ということではないか。
身体がないゆえに、いままでと同じようには五感は使えないだろうが、身体のない意識なりの感覚があるのかもしれない。
で、そこらへんに「居る」。
で、ある期間(語呂のいい49日前後か)を経て、全体に一体化していくのではないか。というか個体とか一体化とかいう概念もなく、「在る」ということなのか。

死後の世界はあるのか、ある。
魂は死なないのか、死なない。
死とはどういうことか、身体、肉体の死である。
意識はどこにあるのか、それぞれの身体のなかにあるが、身体のなかだけでなく空間全体に広がっている。
と簡潔に答えることもできる。
しかし、たぶんあなたの考えているような死後の世界はない、とか、魂は死ぬとかいうものではない、とか、非常に長い話が続くことになる。

いちおう説明した(できた)つもりだ。

次回は、言葉の呪縛と言葉からのリリースについて、考えてみようと思う。