マキタカオライフ

It's Life and Life Only

意識、心、身体、命、魂について

おそらく一般的な概念として。

人間の「身体」の数だけ「心」がある。人間はひとりひとり、「心」を持っている。
そして心が考えたり感じたりすることが、「意識」である。
変な言い方になるが、意識、認識できること、が「意識」である。
「心」と同様に、「命」も、人間ひとりひとりが持っている。ひとりひとりの「身体」に命が、ある。
ということは、身体ひとつひとつに、命があり、心があり、意識がある。

命がある、生きているとはどういうことか。
呼吸している、心臓が動いている、脳波がある、とか。
意識がある、刺激に反応する、とか。
死んでいるとはどういうことか。
生きている、の反対。
腐敗していく、土に還る。
生きているか死んでいるかは、「身体」のことを言っている。
「命」は「身体」の状態である。

身体はどうやってできているか。
生殖、細胞分裂、身体の連鎖、DNAの連鎖。
何もないところから発生するのではなく、「連鎖」によって誕生する、発生する。
身体の基本的なポテンシャル、潜在能力(人間が人間であるための必要装備というか)は、連鎖により引き継がれていく。


で、ここからすこしつっこんだ考え方をしてみる。

身体に命が宿っているというのはどういうことか。
細胞が細胞単位で生きている。結合し分裂し成長する。
それらを、もう少し大きなサイズの命がつかさどり、そのまたそれらを、身体単位の命がつかさどっている。
命というのは、身体ひとつにひとつある、というよりも、集合体のようなものである、と考えてみる。
同様に、身体というのも、細胞、DNAなどの集合体であると。

自分の心、意識も、自分という単位(ぼくとかオレとか)で考えるから、自分の心はひとつだと思うのが普通だが、いろんなことを考えるこの心は、いろんなことの数だけある、それもまた集合体であるという考え方もできる。

以前、命というのは、地球の重力を帯びている状態だ、みたいなことを書いた。
重力だけに限らず、太陽の光や磁気、その他自然界の様々な何かが、あるいはすべてが、影響しているかも。
わかりやすくいうと、充電されているような状態。
身体が、細胞が、その電気を受け付けるポテンシャルを持っている状態。

連鎖によって存在する身体が、自然のパワーに充電され活動し、身体の感覚と言語を主体とする個体から空間へと広がる意識を有し、その意識はボーダレスである。
いずれ身体は土に還り、意識は空間に還る。その意識を「魂」と言ってもいいのではないか。
魂というのをいままでよりも広義でとらえる。個々の、というよりも、自然の、みたいな感じ。
ミクロというよりマクロというか。

続く。

次回は、意識、無意識、集合無意識の関係性と、言葉(言語)とそれらとの関係について考えていこうと思う。