マキタカオライフ

It's Life and Life Only

次元の概念と言語

x軸、y軸、z軸の三次元、プラス時間軸の空間をまず考える。
その空間には、人間が認識できる範囲と認識できない範囲がある。
その認識できる範囲内が、いま人類が生きている次元、ということにする。

人間個々の各種ポテンシャルによって、認識の範囲の幅が違うので、次元のサイズは、ひとそれぞれ、個々によって違いがある。
その人間が認識することのできる範囲だけが、その人間の次元である、とも言える。

各種ポテンシャルというのは、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感に加え、想像力、応用力、先人が積み重ねてきた様々な知識、学問、そして言語力である。

五感だけでの認識だと、見える、感じる範囲だけが次元ということになる。
しかし一般的なわれわれの次元は、地球全体や、海の底や、宇宙ステーションや、銀河系のとこらへんまでも含んでいる。
これらは、五感以外の知識によるものである。

あと人間は、いわゆる「考える」とき、言葉、言語で考えている。
(「感じる」というのは、言語以前の感覚である)
言語による概念、言語による認識。
言語によって考え、言語によって認識し、定義し、記憶し、知識とし、さらに想像し、応用する。

人類は、言語による概念を増やし広げることにより、次元を広げてきた、ということができる。
最初のころは、それこそ見える範囲だけだった世界、覚えている範囲の過去、想像できる範囲の未来、のサイズだっただろうが、見える範囲を広げ、記録をさかのぼることで、そしていわゆる「科学」という学問、アプローチによる、仮定、計算、証明、認定により見えない範囲の認識を広げることで、次元は現在のものとなった。
そこには、科学を応用した様々な機械、道具類の開発、発展が欠かせない。
学問による概念の拡大、高度機械文明による、「人間ができること」の拡大。
それも、言語とそれにともなう概念があってのことである。

あと先に述べた、次元の個人差。
人間関係において、五感の感知の幅、知識の違い、言葉の捉え方などによって、クロスするところとクロスしないところがあるということ。
趣味があうとか、相性が、とか、好きとか嫌いとか、肌があうとかあわないとかいうのは、単に感情の問題とするより、次元の問題とするほうがわかりやすく、腑に落ちる感じがする。
ロジカルに判断、対応できるように思う。

続く。