マキタカオライフ

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景気回復について

まずは景気回復だ、というのをよく聞く。
景気を回復する、させる、ということなんだろう。
回復というのは、だいたい分かるが、さて、景気とはなんだろう。
どこの会社も商店も、よく売れてよく儲かるということなんだろうか。
儲かるというのは、ある線以上によく売れるということだろうし、よく売れるというのは儲かるということも含んでいる。
売上が増えても儲からなかったら景気がいいとはいえないだろう。
儲かればいいということか。
売上が減っても儲かっていればいいということか。
それで経費削減とか言って、仕入の原価を下げようとしたり、あらゆる費用を抑えようとする。
でも、そのいわゆるリストラで儲かるようになっても、それはここで言う景気回復ということではないだろう。
だから、おそらく、なんかいろんなもの、かつて売れていたがいまあまり売れていないもの、がバンバン売れて、バンバン儲かる、ということを言っているのだろう。

そういうような、景気回復は、ないだろう。
その理由を簡単に言ってしまうと、ものもサービスも行き渡ってしまっているからである。
あるひとつのものについて、決まったテリトリー内で、その全体的な売上が増加していくということはない。
買い替えの需要を希望的に考えても、現状維持が精一杯だろう。

景気回復というものを疑うことなく進めようとするなら、人口の増加、新しい需要の見込める画期的な商品の開発、販売テリトリーの拡大、あとは買い替えの需要の追求(捨ててでも、壊してでも、新しく作り替えるようなこと)、というようなことだろうか。
景気回復、儲かること、お金のことを一番にもってくると、いろんなことに無理が生じ、いろんなことを犠牲にしたりしなくてはならなくなるだろう。

景気回復ではなく、景気安定、というのはどうだろうか。
収支、損益よりも、売上の有無、その売上の内容、重要度、頻度、によって、その仕事の価値をはかるというか。
需要があればそれでいい、とか、だれかが喜んでいれば、役に立っていればそれでいい、とか。
お金はぼちぼちでも、食べるものは回っている、寝るところはある、とか。

もはや政治とか経済とか、立法とか行政とかいうことではないかもしれない。
人間の価値観、それも世界的な、人類の価値観の話かもしれない。