マキタカオライフ

It's Life and Life Only

人間関係 距離と立場9

人間ひとりひとりにそれぞれの境界線(パーソナルスペース)がある。
国家、組織、団体などにもそれぞれ、境界線がある。
境界線とかボーダーラインとかいろんな表現をしてきたが、一本の直線ではなく、円というかエリアというかゾーンということをわかりやすくするために、「パーソナルスペース」ということにする。

そして、国家、組織などの団体は、じつは実体というものはなく、概念のようなものである、というようなことを書いた。
それでも、国家、組織もそれぞれ(パーソナル)スペースを持ち、そのスペースを広げようとしたり、互いに干渉したり、優位に立とうとしたり、あるいは取り込んでしまおうとしたりしている。

そろそろ、考えがすこしまとまってきた。
個々の人間関係について考えることは、国家の関係について考えることと似ている。
会社どうしの関係について考えることは、個々の人間関係について、と似ている。
ある関係について考えることは、ほかの関係について考えることにもあてはまる。

抑止力。
わかりやすい例でいくと、「うちは核、持ってるよ」と言う。あるいはほのめかす。実際持ってるかどうかは別として。
「オレ、なんとか空手黒帯やで」と言う。
暴力、フォース、腕力。

そういうのではなく、たとえば、雰囲気、立ちふるまい、だけでも、パーソナルスペースを表現、確保、防衛することができるだろう。
凄み、落ち着き、悟り、腹(肚)。

あと、窮鼠猫を噛む、と書いたが、小動物でも、本気でキレると恐ろしくコワい。
動物は、命のかかった緊急時には、キレる。自然に自ずとキレる。
人間は、キレることを忘れてしまった。というか、本来のキレ方ができなくなってしまった。

個人個人、ひとりひとりが、動物のようにいつでもキレる用意がある、という状態、平常心で。
パーソナルスペースを、パワー、フォースの誇示なしに守ること、それが、ひいてはその人が所属、関係する団体、組織、国家の抑止力につながってくるのではないか。

しかし、実際のところは、キレる用意だけではなかなかうまくいかず、たまにほんとにキレてみないといけなかったりするのは、めんどくさいところである。
ということは、この問題はまだまだ続くのか。
「こたえは 風が知っている 吹いている 風が知っている」ということなのだろうか。