マキタカオライフ

It's Life and Life Only

人間関係 距離と立場3

それぞれのひとが、それぞれの相手に、適切な距離感を意識しながら、また、それぞれの立場の違いを尊重しながら、バランスのとれた人間関係をつくっていく、保っていく、というのが、無難な、差し障りのない、そして、節度ある、謙虚で思慮深い、生き方であるだろうと思う。
しかし、意識的にというより、ほとんどの場合意識されることなしに、他人のデリケートな境界線を超える、バランスの均衡を破る、崩す、ということが日常的に起こる。
案外、相手に対する善意がその基にあったりする。善かれと思って。
自己防衛本能による対抗が始まる。境界線のせめぎ合い、陣取り合戦。
そして、勝ったとか負けたとか。
あるいはあえて対抗せず、その場を収めたことにする。
負けるが勝ち。しかしその侵害の欠片は確実に、蓄積していく。

あらゆる人間関係において、それは起こる。
家族、友人、会社、政治、などさまざま。
個人対個人、個人対グループ、団体対団体、ひいては国対国まで。

国にまで考えが広がったときに、国とは何か、ということを突き詰めないと先には進めないが、そもそも対立というものは個人間でも国家と国家でも、出どころ、きっかけは同じようなことだろう。
「境界の保持」「優位性の確認」といったところだろうか。

ディランがHow many…と歌ってもうすぐ50年になる。
ジョンレノンがなくなってから30年もたつのに、国家間の争いはなくなっていない。
宗教も乱立するばかりで、まして対立などと。
経済も政治も、然り。日本も世界も。

「考えかた」「かんがえかた」「考え方」。
「HOW DO WE LIVE ?」「HOW TO LIVE LIFE」。
思想とか、教育とかいうのではない、カジュアルな「カンガエカタ」について考えていきたいと思う。

控えめであるとか、おとなしいとか、謙虚であるとか、まじめであるとか。
かっこいいとはとか、モテモテとはとか、アイデンティティとはとか。
ナチュラルとはとか、ニュートラルとはとか。
太陽とか星とか地球とか、山とか川とか海とか地面とか。
そういうのがぜんぶつながっている。リンクしている。

カンガエカタのベースというものがなんとなく見えてきたとしたら、それをひとびとが共有することは可能だろうか。