マキタカオライフ

It's Life and Life Only

人間関係 距離と立場2

まず、ひとつ。
いわゆる上下関係というものを、信奉するひとと、そうではなく基本人間はそれぞれ対等だと思っているひと、の二種類にこの世の人間はおおまかに分けられる。
信奉(しんぽう)と書いたが、上下関係の存在と効力、実効性、を信じて疑わず、それに則した考え、行動、生き方、というような意味あいで使った。
そうではないほうは、社会的な形式上、便宜上、あるいは礼儀として、上下関係をとらえているが、そこには本質的な上下はないという考えのひとである。

あと、前から書いているように、日本語には一人称、二人称をその場の人間の関係性によって様々に使い分けるという特徴がある。
通常は、言葉の選び方で、その場の人間関係の距離と立場が自ずと互いに確認され、その関係性を保つことができる。
また、丁寧語とか尊敬語とか謙譲語の使い方にも同じような役割がある。
前回書いた人間関係の4つの分類が、より明確になる。

ぞんざいな言葉からていねいな言葉になるにしたがって、距離の間隔は広がっていき、最終的にはお互いていねいになる。
立場の関係はぞんざいな言葉を使うほうが上で、ていねいな言葉を使うほうが下になる。
同等の関係であれば、言葉も同等になる。
基本的に年上は上である。お金を払うほうがもらうほうより上である。教えるほうが教わるほうより上である。
しかし実際は、いくつかの条件が入り交じったりするのでなかなかむずかしいが、そこはなんとかなんとなく、ふさわしい関係性が構築される。
そのバリエーションは4つどころではない。

パーソナルスペースという用語、概念がある。
人間が持っている、他人がそれ以上近づくと違和感を感じる物理的距離のことで、それは相手によって広がったり縮んだりする。
おそらく、ひとそれぞれが、距離感というものを、いま言った物理的なものだけでなく、精神的なとか、感覚的なとか、言葉的なとか、そういうのも持っている。
壁というか境界というか、そしてそれは、ひとそれぞれ、相手次第であり、気分次第であり。
ここから先は入ってくるな、というボーダーライン。(またぐな、またぐなよ、by長州力

声が大きい、というのがある。
声が高い、というのもある。
上から目線というのもある。
対するほうは、反論できずにだまってしまうことがある。
反論できないのではなく、ばかばかしくなって。
さらにでかい声で言い負かされたりする。
言い負かされたわけではなく、めんどくさくなって。

常に勝ち負けを考えているひともいる。
極端なことをいえば、
勝つことがすべてだ。嫌われようが憎まれようが、と。

相手によって自分は変わる。
変わってないつもりでも、絶対変わっていると、謙虚に思ったほうがいいだろう。
たぶん、自分自身もひとの領域に知らないうちに侵入している。
またいでいる。

続く。