謝るということと責任
自分がしたこと、あるいはしなかったことで、他人が不愉快な思いをしたり、不利益を被ったことについて、悪かったなと思い、すみません、わたしが悪うございました。わたしの責任です、というのが、「謝る」ということであるとする。
そうしたときに、謝られたほうが、「責任をとれ」などというのはよくあることである。
そして、「謝る」ことと「責任をとる」ことがセットになっているというのが一般的な今の風潮であるように思うが、ここはこれは別に考えたほうがいいのではないか。
ここでいう責任とは、多くの場合、お金で解決するということである。
(取り返しのつかないことを解決するにはとりあえずこれがいちばんか)
責任をとれないから、謝らない、非を認めないということが横行しているように思う。
責任をとる(お金)まえに、その原因、責任(お金ではない)の所在をあきらかにし、謝罪し、今後のことを相談する、それが、まっとうなやりかたではないか。
「謝る」と「許す」も別問題で、いくらあやまっても、許してもらえないこともあるし、いくら謝られても、許せないこともある。
それでも、謝るときは謝る。
許せないものは許せない。それはそれでしょうがない。
許してもらえなくてもしょうがない。
しょうがないものはしょうがない。