マキタカオライフ

It's Life and Life Only

愛用の弁当袋

弁当袋にずっと使っている、ぼろぼろのトートバッグのちっちゃいのがある。

ずいぶん前に買った、吉田カバンのコットンのトートバッグのサブバッグみたいなやつで、本体のほうは、これもぼろぼろになって、だいぶ前に役目を終え、捨てられてしまった。サブのほうだけが残っている。

このあいだ、なんかのときにその袋のことを「愛用の弁当袋」と表現したことがあって、そこでふと考えたのが、愛用とか愛とかいうことで、まさに、この弁当袋がそうだ、と。

特別に気に入っているわけでもなく、水筒をいれたときの収まり具合などどっちかというと気にいらないところもあり、でもまあなんとなく使っているという感じである。で、すごく気に入っているのを愛用というと思っていたが、こういうのを愛用というのではないか、と。週に5日もいっしょにいるというのはすごいことである。

そう思えば、ふだんいっしょにいる、枕や布団や自転車やパソコンや、その他もろもろ全部、そうではないか。気に入らないところも多々あるのに。

で、愛というのもそういうことではないかと思ったわけで、以前から「愛」ということばには少し疑問をもっていたのだが、人間に対しても何に対しても、好きもきらいもありありで、いっしょにいるとか共有するとか、そういうのを愛といってもいいのかな、と。

ラブとかピースとか言っててもこうしてどこかで戦いは起こっていて、ラブとかピースとか言うときに、憎しみや戦争の反対のところにラブとかピースとかの意味を置くのではなく、もうちょっとニュートラルな意味合いのところにおけば、すこしは変わるか、な。などと思ったり。